MENU

葵祭りの文化と歴史

葵祭は、平安京が始まる百年以上も前から上賀茂、下鴨の両神社の祭礼として行われていたと言われ、当時は勇壮で荒っぽいお祭りで知られ、その荒々しさを見るために近隣から多くの人々が集まる有名なお祭であったと言われています。また、その勇壮、荒っぽさは現在においても流鏑馬でうかがうことができます。また、正式には「賀茂祭」と呼びますが、「北祭」と呼ばれることもあり、平安時代に祭りと言えばこの祭りのことを表したと言われるほど有名なお祭りでもあります。また、同じ三大祭りでも、「庶民のお祭」である祇園祭に対して、葵祭りは賀茂氏と朝廷の行事として行っていたのを貴族たちが見物に訪れる、「貴族のお祭」として行われていたという特徴があります。

平安時代に入ると、賀茂祭は雅びやかな祭りに変化していき、多くの人が華やかな着物や飾り付けをした牛車で参加し、都大路を賀茂神社にむけて行列するようになりました。ただ、その後、朝廷の財政難でのお祭自体の衰退や応仁の乱が起こったことにより一度は完全に中止となる事態に陥りましたが、徳川幕府の時代に復活し、その頃から「葵祭」と呼ばれるようになりました。これは祭を復興させた徳川家の家紋である「葵の御紋」にちなんだとも言われています。

その後、徳川幕府の滅亡から明治維新を迎え、東京遷都により再び衰退してしまう葵祭ですが、明治17年から再び行われるようになり、この時から5月15日が祭日となっています。その後、第二次世界大戦が勃発し中止、その後は昭和28年から再開されています。このように、室町、江戸、戦後と三度の衰退を経験してきたお祭りですが、今尚、伝統は受け継がれ当時の様子を垣間見ることのできる貴重な催し物です。

葵祭りの見どころ

このお祭りの最大の見どころは1キロにもなると言われる行列になります。これは「路頭の儀」と呼ばれ、勅使をはじめ検非違使、内蔵使、山城使、牛車、風流傘、斎王代など、平安貴族そのままの姿で行列をつくり、京都御所を出発する。総勢600名近く、牛4頭、馬36頭、牛車2台、輿1台の優雅な王朝時代そのままの行列が、下鴨神社と上賀茂神社へ向かいます。その道のりは約8キロにもおよぶ長い道のりです。その道のりを1キロ近い行列が通る姿は圧巻です。また、「社頭の儀」と呼ばれる儀式もあります。これは行列が両方のお寺に到着した際にそれぞれの社頭で、勅使が御祭文を奏上し御幣物を奉納するものです。さらに、神馬の引き回し、舞人による「あずまあそびの舞」が披露されます。

祭りの流れを簡単にご紹介すると、5月3日に下鴨神社で行われる流鏑馬神事から始まり、4日の斎王代・女人列御禊神事、5日の歩射神事・競馬会神事、12日の御蔭祭・御阿礼神事から15日へと続きますが、なかでも御蔭祭は八瀬御蔭神社より神霊を下鴨神社へ迎える神事で、この舞を伴う行列の古い祭りの形態は一見の価値があります。

ここまで、簡単ではありますが、葵祭の文化や歴史、見どころをご紹介しました。少しでもご参考になればと思います。

ウィザス高等学校
広域通信・単位制高校

リンク

『朝日 ホテル』についてのオススメ情報一覧をご紹介

http://www.7stonescafe.com/hotel/yamagata/asahi/

「菅平 ホテル」をお調べならこちらにお任せ

http://www.7stonescafe.com/hotel/nagano/sugadaira/